こんにちは。樋口です。
今回は「人間はなぜウソをつくのか?」についてです。
『嘘』はおそらくこの複雑で息苦しい世の中を生きていくための本能のようなものではないかと私は思います。
そんなウソには大きく分けて2つの種類があり、一方は良い影響を、もう一方は悪い影響を自分に与えると考えます。
①過去の自分の失敗をひた隠すため、もしくは正当化するためのウソ
②未来への願望を実現したいと願うウソ。または誰か他人のためにつくウソ
前者は周りからの信用を失い、さらには未来に習慣的にウソをつく自分を作り上げていきます。
それを繰り返すと、恐ろしいことにいずれ必ず無意識にかつ自然にウソがつけるようになります。
後者の願望のウソは、今できないことを強く願い言葉に出すことで、いずれそれは行動に変わり事実となり人の未来を形作っていきます。
そして人のためにつくウソも同様に、優しく思いやりのある自分と共同的で調和の取れた人間関係を形作っていきます。
皆さん、どちらのウソで自分を塗りつぶしたいと思いますか?
②という人が大半だと思いますが、
残念なことに今を形作っているのは一人一人が今まで積み上げてきた過去です。
その過去が今の環境を作り未来に繋げます。
自信をもって自分は①はないと断言できるし、周りもそう認める人は今後も素晴らしい人生が待っていることと思います。
しかし大半の人は、きっとどこかで保身的なウソをついたり誰かのせいにしたりしながら生きてきた人ではないかと思います。
そのウソは時にプレッシャーに押しつぶされそうな自分を守るために、
または上司から怒られずにすむためだったり、
瞬発的につい出てしまったり、
もしかして誰かの気を引くためだったり(幼少期のウソの多く時はこれが多いようです)
するのではないでしょうか。
ウソをつくとその結果として周りからの信用を失い、ウソつきのレッテル貼られ、会社であれば評価が下がり、今後の言葉や行動の説得力が失われます。
そんなときに重要なのが、その人の今を見て信じてあげることや、認めてあげる人の存在だと私は考えます。
人はみな過ちを犯します。
常態的にウソをつく人や、それが病気に起因する人は別途専門家などに相談して本人が真剣に向き合わないといけませんし、
周りの助けでは限界があると思います。
しかしそれ以外の人はやはり周りは見捨てないこと、
誰かが手を差し伸べることが必要ですし、
バイアス(レッテル)を貼らずにその時のその人を真剣に見てあげる、善い行いは認めてあげて悪い行いは指摘してあげることが必要なのではないでしょうか?
我々AtHumanVisionは「人生をあそぶ」というミッションを掲げて、
人に寄り添い人を信じ、人の才能を開花させる手助けをするためにこのミッションを掲げて、会社として今も全力で走り続けています。
人は決めつけやバイアス(レッテル)貼りをしやすい生き物だと私は思います。
しかしこの会社では、
良いものは良い、悪いものは悪いと事実を受け止め優しく伝えてあげられる、そんな組織をこれからも創っていくために邁進していきます!