私が今想うこと(後編)
みなさんこんにちは。
代表の樋口です。
この度代表を退任するにあたり、
前回に引き続き
これまでの約11年間を振り返り
想ったことをそのまま書こうと思います。
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話は少し変わりますが、
なぜここまで代表を続けてこられたのかを
思い返してみました。
一番の要因は
自分が負けず嫌いだったことと、
子供の影響が大きかったのではないかと思います。
もう一つは
働く上で、こんな理想の職場を作りたい
という想いがあったからです。
それは
「人として正しく仕事ができる場」
「それぞれの立場を気にせず思ったことが言い合える環境」
「仕事のお金を稼ぐ以上の、価値のある成長できる場」
を作りたいという想いです。
どれも理想に対して
充分にできていなかったことに対して、
自分の力不足を反省しています。
上記以外では、
最初に1,2年はつらいことや
苦しいことばかりでしたが、
そのひりひり感が
たまらなかったのかもしれません。
3年目くらいから
何となくやるべきことや
どうすればどうなるかが
少しずつわかってきたことで、
少しうまくできるようになったら
また問題が起きて対処しての繰り返しで、
さらにエキサイティングで
ひりひり感に少し慣れてきて
今まで味わったことのない楽しさが
出てきたのではなかと思います。
そして4、5年目に
私の経営者としての力不足で
社員が大量に離脱してしまいました。
そのころにちょうど私の誕生日である
12月22日に父が亡くなり、
失意の中で代表を最初にやめることを
強く考え悩みました。
忙しさと今後の会社の方向性を
どうするかなど考えすぎて、
父が亡くなったときは
涙を流して弔う余裕もなく、
ただ淡々と葬式をこなし
その足で新潟から千葉にとんぼ返りして
淡々と業務をこなしていました。
それまでは
何とかやってこられたと
感じていましたが、
このころには
今まで自分がやってきたことへの疑問
(やり方が間違っていたのではという想い)
と、やり方の修正を迫られる
自己否定の真っただ中にいました。
そんな中で前に進めたのは
残ってくれた社員がいてくれたことが
大きかったですが、
最後に残った感情はおそらく
「負けたくない」という
想いかもしれません。
その想いでやり方を変えて
後半の5、6年は走ってきました。
まずは制度
(人事や労務など全般)の構築や、
自走化できる組織を作るために
権限移譲などの考え、
自分なりのロードマップを決めて
徹底して自己否定しながら
自分なりの組織改革をしてきました。
今想えば
もう心は折れていたのかもしれませんし
その先に自分が会社にいる未来は
見えていなかったのかもしれません。
ただこの後半の5,6年で
大きな学びを得ることができたので
それも書きます。
1つ目は創業当初にお金の制限により
採用の質にこだわれなかったことです。
(採用基準の明確化が出来なかったこと)
採用した従業員の
会社理念の理解と同質性の高さに
こだわることができなかったのは、
私の甘さと優柔不断さの結果です。
しかし企業とは遊びの場ではなく、
まずは理念と生産性を追求するための
集団でなければなりません。
ましてや創業時に参加するメンバーは
ある意味で会社の人格と
方向性の大半を決まることになりますし
スタートの質でその後の飛躍や衰退が
大きく左右されることになります。
そこに個人的な甘えや
会社を一時的な依り代くらいにしか
考えていない人を留めて置く環境を作っては、
お客様(クライアント)に
最大の価値を提供することは
できないですし、
甘えた仕事をしている誰かの
しりぬぐいをすることは
許されないはずですが、
それが起こり本来のチームの力が半減したり、
不満の温床につながったりします。
しかし、創業当初から今に至るまで
そのような状況があり続けているのも
事実です。
勘違いしてほしくないのは、
うまくこなせる器用な人だけが
残る会社にした方がいい
というわけではありません。
会社の理念に賛同して心酔している社員が
正しい動機づけでチャレンジした結果の
多くの失敗は許容しなくてはなりませんし、
入社当初のパフォーマンスが
高い人材ではなく、
その後の成長や愚直な努力を
積み重ねている人がいれば
そちらを見てあげること、
そして正しい方向に努力のベクトルを
向けさせる責任が会社にあり、
それができないのに
正しい努力を積み重ねている個人を
否定することは許されません。
また大前提として、
会社が目指す最終目的にたどり着くために
力不足と考える人材は
採用時に受け入れない選択をするべきです。
2つ目は、
新しく入ってきた人材を育てるために
会社としてクリアしないといけない基準を
明確化して浸透させることが
できていなかったことです。
言わずもがな
人材採用と同じくらい重要なのは、
採用した社員の育成です。
しかし現実的には、
人材育成が充分にできている企業は
とても少ないと感じています。
一番大きな理由は、
理念に沿って明確な会社の向かう方向性が
示せていないことが要因です。
次に人材採用でも触れた、
同質性を高める施策の徹底が
できていないことです。
最後に、
経営者の人材育成への熱意の問題です。
(これは特に大いに私にも当てはまります)
極端な話ですが、
採用と初期の研修で
この会社は自分に合わないと感じる人と
この会社で何が何でもやっていこう
という両極端なベクトルに向かうような
仕組みでないといけないと考えます。
3つ目は、
創業当初から一貫して
丁寧なコミュニケーションを取ることと
説明責任を果たすこと、
そして徹底した情報開示を行うことが
圧倒的に不足していたことです。
これは私個人の大きな反省点ですが、
日頃から何かを行う時に、
自分が取れる最大の説明責任を果たす
意識と覚悟が大いに不足していました。
一言でいえば、
言葉足らずの察してという意識が
強くあったのではないかと思います。
今でもそうですが、
ここまで伝えたのにわかってくれないと
諦めたり端折ったりして
意図を伝える続ける努力を
怠っていたことです。
組織は主体的に
よいコミュニケーションを取ることで
パフォーマンスが最大化されます。
逆に個々の力が強くても、
バラバラに動いていては
組織のパフォーマンスの最大化を
図ることは不可能です。
創業当初に個々のパフォーマンスに頼り、
組織としてのパフォーマンスの
最大化のためのコミュニケーションを
図ることが不足していたと反省しています。
そしてこのコミュニケーションには
徹底した情報開示を
並行して行うことが必要です。
なぜかといえば、
人は性格や考え方や方向性が
それぞれ違うため、
ある言葉を発しても発信側と受信側で
伝わり方は必ずと言っていいほど違います。
言葉が適切に伝わらなければ、
適切なコミュニケーションを取ることは
できませんし、足並みもそろいません。
もう一つここで
持っている情報の量が違うことも
発信側と受信側で伝わり方が違う
大きな要因になります。
また心理的な側面(情報格差により
妬みや疑心暗鬼を生ずること)からも
コミュニケーションの弊害を起こします。
上記のことから、
創業当初から徹底した情報開示を
行うことが必要だったと反省しています。
徹底した情報開示は
経営者の透明性の担保と
質の高いコミュニケーションを図るという
高い理想と強い覚悟が必要なため
簡単にはできないと思います。
しかし、不安や自己保身などの感情は
殴り捨てて実行していく責務があると考えます。
4つ目は、
権限と責任を明確にして
生殺与奪をフェアーな基準で
実行できなかったことです。
まずは、
経営理念を遵守しないことにより
起きた失敗やミスは
厳しくペナルティを与える。
そして、経営理念に沿った行動で起きた
ミスや失敗は、
大きく許容することを徹底する。
権限と責任も、
原則的には経営理念の理解度に応じて
より多くの範囲の権限を与える。
あくまで納得感ではなく、企業理念や
フェアーでシンプルな方針のもとに
ドラスティックに実行していく必要があると思います。
組織の機能を高めるためには
一番最初に徹底して行う必要が
あるにもかかわらず、
上記の原理原則(経営理念)の
一貫性の継続が
創業当初からできていなかったことが、
すべての失敗の始まりであると
考えています。
一気通貫のベースがなくては
すべての施策(人事評価による昇降格や給与UP、福利厚生制度構築など全般的に)に対して
人の好き嫌いやさじ加減の余地を
大いに作ってしまうため、
実際にはフェアーで絶対的な制度を
構築したとしても、
必要以上の不満が常に残ることになります。
5つ目は
創業当初から管理職を育てるための研修や
意図的に考える時間を
充分に設けることができなかったことです。
結果的に研修は、
現場の自浄作用に任せていては
会社として最適な理想的な形になることは
ないと知りました。
なぜかと言えば、
各人が直面している課題や
人材育成の理想的な形や現実
(スキルや知識)が違うからです。
そこから起こる質や
言っていることの違いが
研修を受ける側に大きな違和感を与えます。
さらに言えば、良い研修も
実施側と受ける側で違います。
研修を行う目的や定量的なゴールが違えば
上記の問題から研修の効果は
最大化されませんし、
下手するとマイナスにも簡単になりえます。
なので、研修とは
本来は経営と一体化される
トップダウンの施策がベースになければ
本当の意味で生きてこないと知りました。
しかしこの研修も早い段階から
その性質を理解して組織的に行わないと、
ある一定期間自由に行わせてしまうことで
ある型が構築されて、
それが成功体験に結びつき
無意識のこだわりとなり
修正が困難になっていきます。
決して勘違いしてほしくないのが、
すべてをがんじがらめにする方が
いいと言っているわけではありません。
研修の目的と定量的なゴールを明確にして
理念に沿った範囲内であれば、
やり方にバリエーションを付けるのは
研修担当者の裁量です。
しかし、研修の目的を知らず
定量的なゴールを理解して
コミットできない人材に、
研修を行わせることは
絶対にしてはいけないと断言できます。
それに加えて、
独特のやり方や変化をなくし
凝り固まったやり方をなくすために、
信頼できる外部の研修を
積極的に取り入れ、
臨機応変に新しいやり方を取り入れる
施策と予算を設ける必要があります。
そして研修で最も重要なミッションは、
新卒社員を一定確率で
管理職に育てるための
確かなスキームの構築です。
ゴールが現場の獲得の最大化では、
人の成長はたかが知れてしまいます。
これは採用する人材の
こだわりとの連動が必要ですが、
初期の段階で
「スタートの段階でここまでにこの状態になっていなければいけない」という
管理職になる階段までの明確な基準を
用意されていないといけません。
もちろん入社した段階で
すべてを伝えるのか難しいですが、
大まかな道筋基準をしました上で、
一定期間(1年~3年)で求める
具体的目標と成長スピードを示すことで
努力の方向性が定まり、
最初の6か月間をがむしゃらで
全力疾走しないといけないというマインドを
醸成させることができると考えます。
また管理職を育ているために
もう一つ必要なのが、
直近の業務に直結しない難しい課題
(緊急度が低く優先度が特に高い困難な課題)
の解決のための自由な時間
(新しい発想やアイディア出し)や
自己を振り返り行動を見直すための時間を
業務時間の10%程度用意するための施策を
会社として実行して
時間を与える必要があると思っています。
なぜなら、人材に余裕がない
ベンチャー企業の優秀な人材
(管理職を任されるような)ほど
業務が集中して、
緊急度が高く
優先度のそこまで高くないタスクに
時間を忙殺されるからです。
ここは何の施策も用意しなければ
自動的にそうなるため、
会社として明確な意思を持って
トップダウンでやれることを実行する
必要があります。
これが、
私が代表人生の後半に感じた
反省からの学びになります。
読んでいて気になった方は、
是非実行できるところは実行して
できるなら、どこかで何らかの形で
ご感想を聞ければ幸いです。
最後になりますが、このように
多くの失敗や反省からの気づきを
与えるきっかけをくれた、
松野さん大川さん石井さん鳥井さんや
やめていった創業メンバーに
お礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
また創業間もない
まだ会社が安定していない時代から
会社を支えてくれてる皆さん、
そのころに入社してやめていったメンバーにお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
ちょうど11年の折り返しであり
5,6年目に入社して長く第一線で
会社を支えてくれている皆さんや
そのころに入社してやめていったメンバーにお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
2020年以降に入社して
会社を支えてくれている皆さんや
入社してやめていったメンバーに
お礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
皆さんと会社の飛躍を強く願い、
締めくくりとさせていただきます。